2008.05.11 Sunday 23:59
マッサがトルコGPで3年連続ポール・トゥ・ウィン
レース後の記者会見で
「トルコの永住権がもらえるかな?」
とジョークをとばしていたマッサでしたが、なんにしたってイスタンブールの
女神・・・じゃなくてアッラーの神がマッサに微笑んだということですか(笑)。
同じ場所で3年連続でポール・トゥ・ウィンなんて、なかなかできることでは
ありませんものね。実力プラスアルファ(本人が得意にしているコースとか
いろいろと・・・)。
次はモナコ。
中盤までのハミルトンの走りっぷりが凄かっただけに、フェラーリと
マクラーレンの対決など、ますます目が離せなくなりそうですね。


中嶋一貴はあまりに残念な形でのリタイア・・・つーか、フィジケラ恨むぞ。
思いっきり後ろから乗り上げられましたが、本人が無事なだけまだよかったです。
写真見てビックリしましたが、これ、下手したら首から上がなくなってたかも
(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
[←クリックすると拡大]
◆トルコGP決勝、マッサが3年連続ポール・トゥ・ウィン! 中嶋はリタイア
【Yahoo!:TopNews 2008年5月11日】

をクリックしてね!
最後に、NBonlineから最近の記事を3点紹介。医療現場の危機、「発言すること」
における日米の文化の違い、そして山崎養世さんの道路問題に関するコラムです。
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★山崎養世『道路問題を解く―ガソリン税、道路財源、高速道路の答え』

「トルコの永住権がもらえるかな?」
とジョークをとばしていたマッサでしたが、なんにしたってイスタンブールの
女神・・・じゃなくてアッラーの神がマッサに微笑んだということですか(笑)。
同じ場所で3年連続でポール・トゥ・ウィンなんて、なかなかできることでは
ありませんものね。実力プラスアルファ(本人が得意にしているコースとか
いろいろと・・・)。
次はモナコ。
中盤までのハミルトンの走りっぷりが凄かっただけに、フェラーリと
マクラーレンの対決など、ますます目が離せなくなりそうですね。


中嶋一貴はあまりに残念な形でのリタイア・・・つーか、フィジケラ恨むぞ。
思いっきり後ろから乗り上げられましたが、本人が無事なだけまだよかったです。
写真見てビックリしましたが、これ、下手したら首から上がなくなってたかも
(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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【Yahoo!:TopNews 2008年5月11日】
2008年F1第5戦トルコGPが5月11日(日)、イスタンブール・スピードパーク・サーキット(1周/5.338km、11日決勝58周/309.396km)で3日目を迎え、現地時間15時(日本時間21時)から決勝レースが行われた。
F1の決勝レース前に行われたGP2のレース中、コースに野良犬が侵入するという珍事が発生。ブルーノ・セナのマシンと接触するというトラブルが発生している。
前日に行われた予選でポールポジションを獲得したのはフェラーリのフェリペ・マッサ。このコースを得意とするマッサは、今年4回目を迎えるトルコGPで3回のポールポジションを獲得したことになる。さらに、過去2年はポール・トゥ・ウィンを決めており、このレースに「ハットトリック」の期待がかかる。
2番手にはスペインGPの大クラッシュから復帰したヘイキ・コバライネン(マクラーレン)。自身の予選ベストグリッドとなった。
レース開始時の気温は17℃、路面温度は29℃。フェラーリの2台とこのレースで最多出場記録を更新するルーベンス・バリチェロ(HONDA)、そしてティモ・グロック(トヨタ)がソフト側(ミディアムコンパウンド)でのスタートを選択し、その他のドライバーはみなハード側(ハードコンパウンド)を履いている。
今季初となる反時計周りのサーキットでレースが始まると、ポールポジションのマッサが好スタート。2番手コバライネンを3番手ルイス・ハミルトン(マクラーレン)と5番手ロバート・クビサ(BMWザウバー)が追い越していく。
このサーキットは奇数列のほうが路面状態が良く、7番手からスタートしたフェルナンド・アロンソ(ルノー)も4番手スタートのキミ・ライコネン(フェラーリ)の前に出た。マッサ、ハミルトン、クビサ、コバライネン、アロンソ、ライコネンの順で1コーナーに入っていく。
1コーナーの通過時、後方ではジャンカルロ・フィジケラ(フォース・インディア)と中嶋一貴(ウィリアムズ)が接触。フィジケラはここでマシンを降り、中嶋はピットまで戻ったもののリタイアとなった。この接触でセーフティカーがコースに入っている。
コバライネンはトラブルが発生したかこの周回でピットストップを行い、最後尾へと下がった。
レースが再開されると、ライコネンがアロンソからポジションを取り戻し、マッサ、ハミルトン、クビサ、ライコネン、アロンソというトップ5になった。
最初に1回目のピットストップを行ったのはアロンソで、レースが16周目に入ったところ。2番手ハミルトンはファステストラップを連発しながらトップのマッサまで1秒以下のところに迫っていたが、アロンソの次の周にピットストップを行っている。
トップのマッサがピットに入ったのは19周を終えたところ。2番手を走行していたクビサも同タイミングでピットに向かった。トップ4より第1スティントを長くとったライコネンはこの2周後にピットに入り、ピット作業でクビサをかわして3番手へ。マッサ、ハミルトン、ライコネンのトップ3となった。
マッサの後ろにぴったりとつけ、機会をねらっていたハミルトンが、24周目、ついにマッサをオーバーテイク。マッサより速いタイミングで、かつ短いピットストップだったハミルトンは、ここぞとばかりにマッサを引き離しにかかる。
26周目、セバスチャン・ブルデー(トロ・ロッソ)がコースオフ、ランオフエリアにマシンを止めた。ブルデーのマシンはコーナー侵入時に不自然な動きを見せており、マシントラブルの可能性がある。このアクシデントによって、この日2度目のイエローフラッグが振られた。
レースが32周目から33周目に入るところで、ジェンソン・バトン(HONDA)とティモ・グロック(トヨタ)が遅い1回目のピットストップを終えた後、すばらしいペースで後続を離していたハミルトンが2回目のピットストップを行った。バトンとグロックは1ストップ作戦を選択したようだ。逆にハミルトンは6秒台でのピットストップを2回行い、タイヤはずっとハードのまま。3ストップ作戦を決行している。
マッサが40周目の終わりに、ライコネンが43周目の終わりに2回目であり、最後となるピットストップを終え、あとはハミルトンがどのタイミングで入ってくるか、非常に微妙なタイミングの戦いとなった。
トップを走っていたハミルトンが動いたのは45周目。2番手マッサは余裕でハミルトンの前に出ることができるタイミングだが、3番手ライコネンとはギリギリの勝負。5.9秒で作業を終えたハミルトンがピットの出口に向かうとき、既にライコネンがやってくるのが見える。しかし、結局この勝負を制したのはハミルトンだった。
それでもハミルトンからポジションを取り返そうとじりじり差をつめていくライコネン。残り10周の時点でギャップは1秒を切る。しかし、その後レース展開が変わることはなかった。
得意とするサーキットではめっぽう強いマッサ。ついにトルコGPで3年連続ポール・トゥ・ウィンを達成。
この勝利で、マッサはランキング2番手に浮上。ポイントリーダーのライコネンと並んでフェラーリが1-2を占める。ハミルトンはマッサと同ポイントだが、勝利数から3番手となる。
以下、ポイントを獲得したのは次の通り。
2位ルイス・ハミルトン(マクラーレン)、3位キミ・ライコネン(フェラーリ)、4位ロバート・クビサ(BMWザウバー)、5位ニック・ハイドフェルド(BMWザウバー)、6位フェルナンド・アロンソ(ルノー)、7位マーク・ウェバー(レッドブル)、8位ニコ・ロズベルグ(ウィリアムズ)。
その他の日本勢は、ヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)が10位、ジェンソン・バトン(HONDA)が11位、ティモ・グロック(トヨタ)が13位、ルーベンス・バリチェロ(HONDA)が14位、中嶋一貴(ウィリアムズ)はスタート時のアクシデントでトラブルとなった。
ファステストラップは20周目にライコネンが記録した1分26秒506。
次戦は一年で最も華やかなイベント、モナコGP。通常のレースとは異なり、5月22日の木曜日、現地時間10時(日本時間17時)にフリー走行1回目がスタートする。
最後に、NBonlineから最近の記事を3点紹介。医療現場の危機、「発言すること」
における日米の文化の違い、そして山崎養世さんの道路問題に関するコラムです。
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★山崎養世『道路問題を解く―ガソリン税、道路財源、高速道路の答え』

◆救急車“たらい回し”に拍車も~厚労省が進める医療版“事故調”に潜むワナ
【NBonline:永井央紀 2008年5月8日】
◆弁論勝負の米国人、沈黙の日本人~「俺にも言わせろ」衝動を解き放とう
【NBonline:竹中正治 2008年5月9日】
◆一般財源化は高速道路の借金返済から始めよ
~道路最大の無駄に一言も触れない福田政権の欺瞞
【NBonline:山崎養世 2008年5月9日】
【NBonline:永井央紀 2008年5月8日】
国土交通省の失政の二の舞いか――。今、厚生労働省が進めているある政策に対して、こんな疑念が渦巻いている。建設業を所管する国交省と、医療を担当する厚労省。一見、関係が薄そうな2つの官庁だが、社会問題の解決を目的にうたった政策の副作用に、共に頭を悩ましている。
国交省の失政とは、言うまでもなく2007年に施行した改正建築基準法だ。耐震偽装事件を受けて建築基準法を改正したものの、手続きを厳しくしすぎて現場が混乱。住宅着工件数の急減を引き起こし、昨年10~12月だけでGDP(国内総生産)を0.3%引き下げるなど、6年間続いていた景気拡大に冷や水を浴びせた。耐震偽装の再発を防ぐという目的に異論はなかった。だが、その内容は現場の声を無視した形で作られ、重い副作用を起こした。同じようなことが、医療行政でも起きるのではと危惧されているのだ。
厚労省が進めているのは、医療版事故調査委員会と呼ばれる新組織の設立構想。鉄道・航空事故が起きた時に原因究明や再発防止のために出動する事故調査委員会のような機能を、医療事故にも備えようというものだ。医療を巡る訴訟が急増する中で、患者や遺族から、そうした組織の設置を求める声が高まっていた。
▼ミスの説明をしない病院
「患者や遺族が一番知りたいのは、どうして事故が起きたのかということ。しかし、病院側はなかなか明らかにしてくれない」
1999年に妻を医療事故でなくした永井裕之さんは、遺族が抱える悔しい思いをこう語る。妻は左手中指の手術中に消毒液を点滴される医療ミスで亡くなった。しかし、永井さんに病院からの詳しい説明はないまま。死亡原因や病院側の隠蔽が判明したのは、その後の裁判によってだった。
「遺族はほかに方法がなくて、仕方なく裁判を起こしている。原因究明してくれる第三者による調査機関があれば裁判に頼らずにすむ」と考える。事故調はこうした第三者による専門的な調査機関になるとの期待が高まっており、その設立自体に反対する意見はほとんど聞かれない。
だが、昨年、厚生労働省が公表した試案には、現場の医師から強い批判の声が上がった。そこに、事故調が出す調査結果が医師の刑事訴追にも使われるとの内容が盛り込まれたため、「原因究明や再発防止よりも、医師の責任追及に重心が置かれている」と受け止められたのだ。
関東地方の基幹病院に勤める外科医は胸中を次のように打ち明ける。
「医療は不確実な要素が多い。適切とされる処置をしても、人間の身体は予想外の反応を示すことがままある。良かれと思って手術したのに、そうしたリスクを理解してもらえず、訴えられることが増えているから、リスクの高い手術を引き受けない病院が増えている。周りでは救急医療をやめたがっている医師も少なくない」
▼医療論文が急減
東京大学の上昌広准教授によると2007年後半から、診療中に起きた個別の事例を取り上げる医療論文の数が急減している。「事故調構想が本格化して以降、行政処分や刑事責任の追及につながることを医師が恐れて発表を控えている」と見る。
医療事故の原因究明という目的を掲げる事故調だが、結果的には医師を萎縮させ、救急医療の現場からの離脱を促してしまいかねない。患者を受け入れてくれる病院がなかなか見つからない救急車のたらい回し問題も、今以上に悪化すると危惧する声もある。国交省が耐震偽装防止のために講じた政策が、逆に建設現場を混乱に陥れる副作用をもたらしたのと似た構造だ。
昨年秋以降、インターネット上を中心に、医療関係者による批判的な意見表明が急激に盛り上がっている。ネット上ではチェーンメールさながらに、医療事故調についてこんな文面が飛び交っている。
「身近な方々、ご友人、代議士の方々、ジャーナリストの方々、などにご説明いただけませんか」「1人でも多く厚生労働省へ意見を送っていただきたい」。中には意見を簡単に投稿できるよう、投稿フォームを作成するなど、至れりつくせりといったものもある。
こうして反対意見が盛り上がる中、4月3日に厚労省が公表した事故調構想の第3次試案は、「事故調の目的は原因究明と再発防止であって、責任追及ではない」という旨を明示した。医療界の声にある程度、配慮した格好だ。
これは建築基準法改正の際に、建築士ら現場の意見が反映されにくかったのと異なる点だ。既に医師不足の問題が顕在化していたため、厚労省も医師を萎縮させて事態を悪化させるわけにはいかない事情もあったものの、現場の医師の間で、「お上にこのまま任せてはいけない」という危機感がネットを通じて共有されたことが大きかったようだ。ただ、医療事故に故意や重大な過失があった場合には、事故調が捜査機関に連絡するという内容は残った。医師から「萎縮するのは、故意や重大な過失となる要件が不明瞭だから」という声が上がる以上、ガス抜き的な効果はあっても、本質的な問題解決にはならない。
▼行政に頼らぬ解決スキーム案も
超党派で組織する「医療現場の危機打開と再建を目指す国会議員連盟」の幹事長である民主党の鈴木寛・参院議員は「社会問題の解決を役所に頼っても、役所の焼け太りを招くだけ。そもそも行政は紋切り型の対応しかできず、医療のような多様な事例があることへの対応は下手。むしろ当事者同士がケース・バイ・ケースで解決できるようにすべき」と主張する。それには、医療の専門知識を持たない患者や遺族へのサポートが不可欠になる。だから、事故調のように医療事故の善悪を判定するような機関よりも、「患者や遺族に専門性の高い医療の情報を分かりやすく提供するような組織こそ必要だ」と訴える。
耐震偽装事件では、国中がパニックになって建築手続きの厳格化を求めるムードが醸成された。政策立案に関わった村上周三・元慶応義塾大学教授は「後になって規制が強すぎたと批判されるが、国中が建築手続きの規制強化を求めた空気の中でどうすればよかったのか」と話す。そして、与野党双方から「あそこまで厳格な制度にする必要はなかった」との反省の声が聞こえる。そういう意味では、鈴木参院議員が主張するようなスキームにいずれ現実味が出てきてもおかしくない。
厚労省の第3次試案は現在、パブリックコメントの受け付け中。現場の医師の意見が一定程度、尊重されたとはいえ、医療に対する不信感の高まりから来る事故調創設に向けた空気の盛り上がりは健在だ。医療事故の隠蔽など、一部の医療機関に不信を招いた原因があるのも事実だが、現場で起こりうる副作用への懸念も無視はできない。厚労省は患者や遺族の求めに応えつつ、医師の萎縮も抑えなくてはならない。落としどころを探る時、国交省の教訓は生きるだろうか。
◆弁論勝負の米国人、沈黙の日本人~「俺にも言わせろ」衝動を解き放とう
【NBonline:竹中正治 2008年5月9日】
米国民主党の大統領選候補者選で、ヒラリー・クリントンのネガティブキャンペーンに腹を立てたバラク・オバマが、「ヒラリー、恥を知れ!(Shame on Hillary!)」と発言した。それに応じてヒラリーが「あんたこそ、恥を知れ!(Shame on you!)」とやり返し、この一幕が話題になった。
勝負の決着がつくまでは、あくまでも弱みを見せず、徹底的に強気でやり合う。これは米国政治劇の定石だ。ヒラリーの見せた「涙」ですら、戦う姿勢をより効果的に演出するための小道具に過ぎない。
▼「かわいそうなくらい苦労しているんですよ」、福田発言にがっかり
どうしても比べてしまわずにいられないのが、4月9日の国会で行われた党首討論で、福田首相が民主党の小沢代表に対して言ってしまったセリフ、「かわいそうなくらい苦労しているんですよ」だ。
福田首相はあえて質疑の攻守を替え、民主党の小沢代表に対し、日銀総裁問題での「人事権の乱用」「民主党の意思決定の遅さ」などを攻めたところまではよかった。ところが最後に“泣きを入れている”と思われても仕方がない一言を言ってしまった。小沢党首は不敵な冷笑で応じていた。これではまるで、漫画ドラえもんに登場するジャイアン(いじめっ子)相手に泣きを入れているのび太の構図である。
民主党のオバマ候補は上院議員1期目という若さにもかかわらず、聴衆を感動させる演説で注目される存在に躍り出た。そして、あれよあれよと言う間に、圧倒的な知名度と実績を誇っていたヒラリー・クリントンを逆転してしまった。
オバマに限らない。米国で政治家、企業のCEO(最高経営責任者)などのスピーチを聞くたびに思うが、みな演説がうまい。日本の政治家や大企業のトップと比べると段違いにうまい。もちろん、米国でも日本でも個人差はある。しかし米国では地位の高い人ほど演説がうまい人が多い。
▼米国の政治家、企業トップに雄弁家は多いが…
リーダーの雄弁だけではない。米国では1時間の講演なら講演者が一方的に喋るのは普通30分までだ。それ以上喋ると聴衆がフラストレーションを起こす。半分以上の時間は質疑応答、討議に当てられる。討議の時間になると、「俺にも言わせろ」「あたしにも質問させて」という聴衆が尽きない。
もちろん、議論を発展させる建設的なコメントや質問が歓迎されるが、ピントの外れた質問や、勘違いコメント、講演内容に関わりのない質問まで臆面もなく飛び出す。それでも公論の場でのエチケット(例えば1人で長々と喋らない)を守って発言する限り、「沈黙」よりも「発言」が歓迎される。
反対に日本の講演会はほとんど講演者が一方的に喋り、質疑応答は最後の10分だけという場合が多い。質疑に時間を取っても、シ~ンとして質問もコメントもなかなか出てこない。いったい、この日米の違いはどこから生じるのか。
ちょっと「日本通」の米国人に聞けば、こんな答えが返ってくるかもしれない。「日本の社会や組織は閉鎖的、権威主義的で、意思決定は事前の根回しであらかじめ準備されるでしょ。だからオープンな討議やプレゼンテーションにあまり価値が置かれない。それだからじゃない?」。
しかし多少でも米国に身を置いて観察すれば分かることだが、米国の政治も見た目ほどオープンではないし、企業統治ではCEOの独裁的な力が問題になっている。それでも米国の文化的な規範・価値観が演説やディベートに日本よりもはるかに高い価値を置いていることは間違いない。
実際、海外ではあまり喋らない日本人は損をしている。英語の上手下手の問題ではない。下手な英語でもガンガン主張している連中はたくさんいるのだ。それでも全体としては、「日本人は何事も集団主義的で、個人の意見がないのじゃないか」などという偏見がまかり通ってしまう。ではなぜそうした日米の相違が生まれたのか。実は分かりやすい事実の中に、日本人のプレゼンテーション下手の原因があると私は思う。
▼膨大な時間を奪う日本の子供の読み書き訓練
米国に駐在中のこと。娘の小学校のクラスメイトの米国人宅で、話題が日米の小学校での国語教育に及んだ。米国の子供と比べると、日本の子供たちは、表音文字としてひらがなとカタカナを学び、表意文字として漢字を学ぶ。さらに小学校高学年からアルファベットでローマ字を学び、中学1年から英語を学ぶわけで、米国の小学生に比べると読み書きに要する学習量は大変に多い、と私は語った。
米国人の奥さんが、漢字はどのくらいの数があるのか、100か200かと問うので、一般に使用されている数で1000とか2000だと言ったら、目を丸くされた。さらにアルファベット24文字に対して、ひらがなは50音文字で、そのままだとパソコンのキーボードに乗り切らない。
だから私たち日本人の多くはワープロソフトを使用する時、アルファベットのキーボードを叩きながら、パソコン画面上にひらがな、カタカナ、漢字の3種の文字で構成された日本語文章を作成するのだと話したら、「信じられない。魔法みたいだ」と言う。そうりゃあそうだろう。英語ワープロユーザーは「文字変換の魔法」を知らないのだ。
▼文字体系の複雑さが生み出した相違
米国人にそういう説明をしながら、はっと気がついた。実際、日本人は子供時代に「書く」ことを学ぶために米国人とは比較にならないほどの学習労力を費やしている。しかも計算訓練にも米国人以上の訓練を費やす。だから日本の小学生で算数の計算能力が平均的な子供でも、米国の小学校ではトップ水準だ。
しかし、学習に費やせる時間には限りがあるので、それだけ日本の子供が書く訓練に多くの労力を費やせば、必然的に犠牲になる訓練が出てくる。それが口頭プレゼン能力、大勢の前で話す能力の訓練である。
自分の子供時分の記憶をたどると、幼稚園から小学校初期の頃までは、「みんなの前でお話をしましょう」というレッスンがあった。ところが小学校の半ば頃からそうした「お話レッスン」は乏しくなり、その後ほとんど復活しない。読み書き、算数に必要とされる訓練時間が多くなり、さらに社会や理科の知識習得が増え始めると、口頭プレゼンの訓練時間は切り詰められ、ほとんどゼロになってしまう。大学受験でも口頭試問などはないから、中学、高校での受験勉強でも口頭プレゼン訓練はほとんど復活しない。
一方米国の小学校では、「みんなの前でお話ししよう」のレッスンは継続し、かなりの時間が費やされている。娘が通っていた米国の公立小学校でも、かなり多くのレッスン時間が口頭プレゼン訓練に費やされていた。例えば「Book Report」「News Report」と呼ばれ、読んだ本や新聞ニュースについてリポートする作業がある。日本なら「読書感想文」を書いておしまいだろうが、「Book Report」ではリポートを書き、その後クラスの生徒の前で口頭プレゼンをする。そのプレゼン内容がいくつもの評価項目で評点される。
米国における口頭プレゼン能力の訓練は、初等中等教育のみではない。日本人が米国の大学、大学院に留学すると、口頭プレゼンやディベートの時間が多いことに驚き、日本の大学教育との大きな相違を経験する。
訓練に費やす学習労力にこれだけの日米格差があれば、日本人の相対的な口頭プレゼン下手も無理からぬことである。そして米国の小学校がこれだけ口頭プレゼン訓練に時間が割けられることの前提条件として、文字を書く訓練に要する時間が日本に比べて相対的に少ないことがあると私は思う。
▼文章文化の日本人はブログ書き込みが世界一好き
日本人が文章文化だと考えると、講演会では静粛過ぎる聴衆が、一転ブログの世界で大胆・活発に書き込み合っている日本の事情が理解できる。某ブログ調査データによると、世界のブログ書き込み言語のシェアで日本語は37%と英語の33%を凌駕しているという。英語ユーザーの人口が日本語ユーザーの数倍であることを勘案すると、これが本当なら驚くべきことだ。
ブログの匿名性によって助長されている面もあろうが、文章文化の日本人はブログの書き込みが世界一好きな国民だということになる。NBonlineでも「俺にも言わせろ」「あんた、何言ってるの」と溢れんばかりに寄せられるコメントの群れは、「百家争鳴」と言うべきか、「暴言有理」とでも呼ぶべきか。
文章文化の日本人の特性は外国語の教育、勉強でも出てしまう。英語の読み書きがかなりできるのに、英語会話となるとまるでお手上げの日本人は多い。反対に米国人は日本語を勉強してかなり流暢な日本語を話す場合でも、日本語文章を書くのはとても苦手というのが一般的だ。
もちろん、学校教育内容にはその社会の文化的な価値観が反映される。従って、米国が口頭プレゼンを重視する文化である故に、教育でもプレゼン訓練に多くの時間が割り当てられるという逆の説明も可能である。しかし、アルファベットという比較的簡単な文字体系を持ったこととが、口頭プレゼン訓練により多くの時間を費やすことを可能にし、この2つの文化要素は相補的に強化されてきたのではなかろうか。反対に日本では複雑な文字体系を持ったことと、文章論述を重視する文化要素が相補的、相互強化的に発展してきたと言えないだろうか。
▼同じ漢字文化の中国は大きく舵を切った
複雑な文字体系は日本だけではない。漢字は1949年革命後の中国では大幅に簡略化されたものが使用されているが、それ以前は数も多く、表記も現代に比べると遥かに複雑だった。浅田次郎の『蒼穹の昴』には清朝末期の科挙試験の様子が描かれていて面白い。科挙試験で要求されるのは様々な古典書物に精通し、文章の徹底した形式美の要件を満たしながら格調の高い文章を書くことである。
真言密教の祖で日本古代随一の天才と言われた空海が、遣唐使の一行に加わり唐に渡った時、嵐で船が流され、航路を大きく逸れて中国南部に漂着した。地元の官吏が漂着した一行を検分しに来たが、遣唐使を迎えたことのない地元の官吏は日本国の使節として認知してくれない。そこで既に日本で中国の学問を習得していた博学英才の空海は、筆を執り、事情説明の文章を官吏に献上する。官吏は完璧な中国語で書かれた空海の文章を読み、その並外れた格調の高さに驚愕し、空海一行が正式な遣唐使であると認めたという逸話がある。
このように中国も口頭プレゼンよりも文章論述を重視した文化的傾向が濃厚だった。文字文化が発展するその初期条件において、たまたま複雑な文字体系を生み出した結果、その複雑な文字体系を自在に駆使できることが文化的価値として尊重、重要視されるようになった。こうして複雑な文字体系と文章論述重視の2つの文化的な要素が相補的、相互強化的に発展してきたと言えるのではないか。
ただし1949年の革命後はそうした傾向は正反対に振れる。複雑な文字体系は知識を知識階級が独占する傾向を生み出すと考えられ、漢字の徹底的な簡略化が進められた。
▼雄弁でなければ政治家にはなれない米国
一方、アルファベットを文字体系とした西洋では、単語を覚える、文法を習得するという言語共通の訓練を積みさえすれば、文章作成自体は相対的に容易である。容易なものでは差別化し難い。知識人を目指す中国や日本の子弟は文章作成訓練により多くの時間を費やし、複雑な文字体系を駆使した文章文化を発展させた。一方で、西洋の子弟は別のプレゼン技術の訓練に時間を費やした。その結果生み出されたのが弁論文化である。演説やディベートの巧みさ、格調の高さに価値が置かれた。
古代ギリシャ時代のソフィストらの弁論術、ソクラテスの問答法は、口頭プレゼン、ディベート重視の文化的原点であろう。弁論重視はローマ時代にも継承・発展され、弁論に卓越することは政治家として重要な要素だった。その最高峰がローマ共和制末期の弁論家であり、政治家であるキケロなのであろう。文章が重視されなかったわけではないが、文章が書けるだけでは真の知識人、リーダーとしては十分でなく、公衆を説得、魅了するような雄弁さが高く評価されたのだ。
もちろん、弁論文化が発展するためには、政治や社会生活において自由な言論が許容されることが前提となる。従ってアルファベットの文字体系からストレートに弁論文化が生まれるわけではない。古代ギリシャやローマの共和政体は弁論文化の土壌となった。ローマも帝政に移行し、皇帝権力が絶対視される時代には、弁論家は活躍の場を失ったはずである。ローマカトリックの宗教的な権威が政治・社会を覆い、それ以外の世界観が一切否定された時代も弁論文化にとっては不遇の時代であったことだろう。
近現代における米国の弁論文化は、ギリシャ・ローマ時代に起源する文化的要素が、米国の独立戦争を経て大統領制と議会制民主主義の土壌の上で、再生されたものと言えるだろう。
▼「俺にも言わせろ」衝動を解き放とう
さて、弁論か文章かの表現形態こそ違え、旺盛、活発なブログへの書き込みに見られる通り、私たち日本人にも旺盛な「俺にも言わせろ」衝動があるのだから、公論の場でもっと自己の主張を解き放ってみたらどうだろうか。ブログもいいが、匿名性に守られた世界でネチネチ書き込み合っているだけでは、ちょっと隠微だろう。
ありがたいことに世の中では、無料のセミナーやら講演会がたくさん開催されている。選挙の時期が来たら、候補者の講演会などは絶好の場だ。講演者の話が終わるや否や、我も我もと手を上げて、質問でも意見でも臆することなくぶつけてみよう。そんなに難しいことじゃない。公論の場のエチケットは守りながら、ブログに書き込むのと同じ調子で言葉にして言ってみるだけだ。
私は米国ワシントン勤務時代の4年間、これを実践してみた。英語で話さなくてはならないハンディがあり、毎度言いたいことが上手に表現できるわけではないが、うまくできた時には一種の爽快感が得られる。公論の場で臆することなく発言する、そんな日本人がちょっと多くなれば、ひょっとして日本の社会が変わり始めるかもしれない。
◆一般財源化は高速道路の借金返済から始めよ
~道路最大の無駄に一言も触れない福田政権の欺瞞
【NBonline:山崎養世 2008年5月9日】
衆議院での再議決によって、年間2兆6000億円に上る道路財源の暫定税率が復活し、ガソリンが値上がりしました。日本国中が値下げと値上げに振り回された1カ月でした。何か得るものがあったのでしょうか。
政府の説明や多くのマスコミの論調では大いに得るものがあったことになっています。それは、福田康夫首相が道路財源を一般財源とする方針を打ち出したからだそうです。
これまでは自動車ユーザーが払う税金は自動的に道路建設に回されていたのが、これからは財務省が査定しさらに国会の審議を経ることで、無駄な道路の建設が減ることが期待されるそうです。
▼一般財源化には、ほとんど期待できない
福田首相の会見要旨を引用・要約すると、
「道路特別会計の無駄遣いの実態が明らかになり、道路整備計画の信頼性にも大きな疑問が投げかけられた。道路財源の無駄遣いについて不適切な支出を直ちにやめ、随意契約を競争的な契約に変える。
不要な天下りを徹底排除する。すべての省庁、独立行政法人、関連公益法人に至るまで、無駄な歳出を徹底的に洗い出し、無駄ゼロに向けて見直す」
とのことです。
なるほど立派な言葉が並んでいます。しかし、政治の言葉は実行されてこそ意味を持ちます。どのようにして無駄をなくし、道路が国民の生活と経済の向上のために役に立つのでしょうか。
福田政権の一般財源化には、ほとんど期待できないと断言できます。「無駄をなくす」と言いながら、日本の道路の最大の無駄について一言も触れていないからです。しかも、無駄どころか、国民の負担がこの瞬間にも膨張を続けているのです。
日本の道路の最大の無駄は、高速道路です。高速道路を変えない限り、道路の無駄はなくなりません。そして、変えるのは国会と政府の責任です。
第1に、道路のユーザーが払うガソリン税などの道路特定財源は、国と地方分合わせて年間4.9兆円に上りますが、そのほとんどが高速道路ではない一般道路の建設に流用されている事態には全く手をつけていません。
▼欧米では道路財源の範囲内で建設するから原則無料
高速道路ユーザーからの税金を流用しておいて、その上に通行料金を年間2兆5000億円も徴収しているのです。高速道路ユーザーからの二重取りと税金の流用のうえに日本の道路の建設は行われているのです。その分、一般道路に過大な財源がつぎ込まれてきました。
米国でもドイツでも英国でも、道路財源の範囲内で高速道路も一般道路も建設するからこそ、高速道路も一般道路も通行料は原則無料なのです。もちろん、高速道路会社のような組織は最初からありません。
日本はわざわざ高速道路のために道路公団という組織をつくり、民営化とは言いながら施設を独占する高速道路会社が残りました。しかも、売れる資産もなく巨額の借金を抱えるだけの日本高速道路保有・債務返済機構(以下、高速道路機構)なる独立行政法人まで作られました。民営化によって道路公団は見事に借金をこのペーパーカンパニーに飛ばしました。借金を返せなくても高速道路会社には何の責任もなくなりました。
ところが借金のほとんどは政府からの借り入れか政府保証がつきますから、返済できなくなれば国民の負担になるのです。国家による借金の「飛ばし」です。民営化の美名の下に、こんな狡猾で無駄な仕組みが新たに作られました。
▼道路が使われないという巨大な無駄
第2に、日本の高速道路は、すべて借金で建設され料金で返すという仕組みです。当然、建設費以外に巨額の金利がかさみます。この分が無駄です。借金返済はこれから破綻し、国民が損失を負担することになるでしょう。この事態も放置されています。巨額の不良債権問題です。
現在の高速道路の借金はペーパーカンパニーである高速道路機構が40兆円も抱えています。驚くべきことに、確定した計画ではさらに13兆円の借金を新たに抱えます。そして、2050年までの超長期での金利支払いを合わせると総返済額は100兆円に上ると発表されています。
さらに、国会で問題になった道路の中期計画を実行すれば、新たに20兆円もの借金を抱えることが予測されます。もちろんその分の金利返済が上乗せされます。
現在の金利はゼロ金利時代を反映して1.5%程度にしか過ぎません。しかし、今後の世界のインフレ傾向や高齢化に伴って貯蓄率が現に急速に減少していることから考えて将来の金利上昇によって、2050年までの金利返済コストは大きく上昇するでしょう。
第3に、道路の中期計画で示された通り、これから3500キロの高速道路を過疎地帯に作ります。採算は今の高速道路より悪化するのは目に見えています。借金返済はさらに困難になるでしょう。
最後ですが、最も基本的な問題は、作った高速道路が使われないという巨大な無駄です。東京湾アクアラインや本四架橋は言うまでもありません。
国土交通省が昨年末に発表した道路の中期計画の中に、日本の高速道路の65%に当たる5200キロは、並行して走る一般道路は混雑しているのに、通行料金が高いために使われていないと指摘しているのです。これだけの無駄と将来の巨額の損失を放置しておいて、福田首相が「無駄ゼロに向けて見直す」と言っても何の説得力もありません。
真の無駄ゼロへの道は、日本の道路の最大の無駄である高速道路を見直すことです。
▼まずは、暫定税率分を無料化の財源に
それは簡単なことです。まず、高速道路機構が抱える40兆円の借金を国が引き受け、返済することです。その瞬間に、高速道路は国が作ったことになり、高速自動車国道という本来の姿に戻るだけです。
もう通行料金を取る根拠がなくなりますから、2050年の政府計画を前倒しして無料になります。そのために、年間2兆6000億円の道路財源の暫定税率分を使うことです。一般財源化の成果として真っ先にやるべき事です。
幸いに、40兆円の借金のうち、85%の34兆円は、既に国から借りるか保証してもらっているものです。新たな国の借金は必要ないのです。
国民の財産であるはずの高速道路での施設運営を独占している高速道路会社はすべて廃止します。もちろん、巨額の借金を国民に最終的に押し付ける役割の高速道路機構という名のペーパーカンパニーも廃止です。
「不要な天下りを徹底排除する。すべての省庁、独立行政法人、関連公益法人に至るまで、無駄な歳出を徹底的に洗い出し、無駄ゼロに向けて見直す」という福田総理の言葉を実現できるでしょう。
そして、高速道路無料化が実現すれば、道路建設の無駄は劇的に減ります。普通の先進国として、道路財源の範囲で高速道路も一般道路も作ればいいからです。
▼ドライバーが“使える”道路にするのが先決
まず、今まで高くて使えなかった高速道路が無料になれば利用者が増えます。実際に直轄方式で全国初の無料の高速道路ができた秋田県では、有料区間は1日3000台しか利用者がいませんが、無料区間になると10000台が利用しています。
今は料金が高くて使われていない東京湾アクアラインや本四架橋や全国の5200キロの高速道路が無料になって使われるようになれば、宝の持ち腐れが有用なインフラに変わるのです。さらに、料金所をなくし、一般道路との出入り口を今の2倍程度に大幅増設すれば、高速道路と一般道路の接続は大幅に改善されます。そうすれば、今ある道路システム全体が早く便利になり、距離と時間が節約でき、輸送力が増します。
そうなれば、いまや人口減少で車も減るはずの日本で、新しい道路を作る必要性は、一部のまだ道路のネットワークが完成していないところ以外では大幅に減るはずです。つまり、将来の道路建設の必要性や需要が減るはずなのです。
しかも、日本の道路システム自体は便利になって、新しい街づくりや経済活動は増えるでしょう。自動車ユーザーはもちろん、土建業者や不動産業者にとっても悪い話ではないのです。
そして、首都高速や阪神高速などの大都市圏の高速道路は、混雑回避のために混雑税を徴収します。その分を全国の高速道路の維持費の一部に充てるべきです。
もう明らかなはずです。日本の道路の本当の分かれ道は、形ばかりの一般財源化のあるなしではありません。お金と時間とガソリンが無駄で、作ったのに使われずにもったいない、高速道路を日本のドライバーが使えるものに変えるかどうかです。
それを理解せずに、一般財源化という言葉に踊らされれば、日本の道路も国土も経済もまた長い回り道をするでしょう。その先には、経済大国の地位から滑り落ちたみじめな姿が浮かんできます。
道路は無料という基本に返る時が来たのです。
▼公共財は使用料を取るべきか否か
道路財源の一般財源化の意味するものを説明した政策研究大学院大学の八田達夫学長の論文が、4月22日付の日本経済新聞の経済教室欄に掲載されました。最初のポイントとして八田学長が挙げたのが、「道路建設の基本は無料公開の原則」でした。どうしてなのでしょうか。少し長いのですが、引用します。
「道路建設はもともと『道路無料公開の原則』によって賄うべきものである。パンやシャツのように、誰かが使えば他の人が使えなくなる財、すなわち『私的財』を消費するのに代価を払うのは当然である。
しかし、公園や橋のように、そのサービスを誰かが使っても他の人も前と同じように使える財、すなわち『公共性(非競合性ともいう)を持つ財』に関しては使用料を取るべきでない。例えば、橋や道路で通行料を取り、車の通行量を制限すれば、せっかく建設した道路や橋も十分利用されなくなる。
これらの公共性を待つ財は、政府が消費税や所得税などの一般財源で建設し、それを無料で『公共財』として提供することにより、最も効率的にサービスを提供できる。こう主張するのが『道路無料公開の原則』である。
一方、『道路の利用を無料にすれば、道路利用者は他の人々より得をするので、効率性を犠牲にしてでも、利用者に使用料を課税すべきだ』という主張が『利用者負担の原則』であり、これが道路特定財源の根拠となってきた。
実は、どの公共財でも、政府による無料提供は、その利用者だけを有利にする。道路にしても、消防署にしても、政府資金による基礎医学研究の成果にしても、公共財として政府が無料で提供しているサービスが利用者に与える恩恵は、利用者以外の人々の税負担で可能になっている。我々が利用する実に多様な公共性のある財の費用を利用者負担にすると、利用者が減り大きな無駄が発生する」
世界の常識に即した論文を日経新聞が掲載したことはいいことです。
▼妄論妄説を振り回す政治家の言いなりになってはいけない
しかし、日本では、公共財の代表である高速道路や橋で通行料を取ってきました。アクアラインや本四架橋は言うまでもありません。高速道路の65%に当たる5200キロが、並行して走る一般道路は混雑しているのに利用されずに空いているのは、世界一高い通行料金を取り続けているためです。
そろそろ日本人も目覚めていい頃ではないでしょうか。
「タダより高いものはない」「道路公団民営化は成功だった」「高速道路の無駄はなくなった」「借金は返せる」といった妄論妄説を振り回す評論家や政治家の言いなりになるのをやめなければ、恐ろしい借金を背負わされるのは我々と次の世代になるのです。
道路の財源でこれだけのエネルギーを使うのならば、高速道路を当たり前の無料の公共財にするのは今です(詳しくは、近著『道路問題を解く』(ダイヤモンド社)をご参照下さい)。























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