狩野永徳@京都国立博物館

明日から11月18日(日)まで、東山七条の京都国立博物館にて
「狩野永徳」展が開催されます。

京都国立博物館~特別展覧会 狩野永徳
    http://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/071016/tokubetsu.html

特別展覧会 狩野永徳・・・特設サイト  http://eitoku.exh.jp/

織田信長・豊臣秀吉の治世に大活躍した狩野永徳の作品、今回の特別展では
主なものでも「唐獅子図屏風」「洛中洛外図屏風」「檜図屏風」「花鳥図襖」
「織田信長像」「仙人高士図屏風」「四季花鳥図屏風」「洛外名所遊楽図屏風」
など、国宝・重要文化財を含む約70点が出品されるそうです。
京都のみの企画らしいですし、時期的にも11月に入ると紅葉しはじめる頃でしょう
から、紅葉を愛でることと合わせて足を運んでみてはいかがでしょうか。
それと、NBonlineに京都国立博物館の山本英男・保存修理指導室長へのインタビュー
記事があがってましたので、一番下の“続きを読む”をクリックしてどうぞ。 

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※CDを1枚紹介

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今年5月にリリースされた『ミスト~クール・ボッサ・アンド・ビヨンドicon
というオムニバスのCDです。ベベウ・ジルベルトやセウ、ジョイスなど
ボサノヴァやブラジル音楽の様々なのアーティストの曲が入ってますが、
5月にリリースされただけあって、全体的にとても爽やかな感じのディスクに
仕上がってます。春や初夏だけではなく、秋の青空にも似合いそうな1枚です。
狩野永徳の作品を集めた“奇跡的”な展覧会
 京都国立博物館 保存修理指導室長 山本英男氏

【NBonline 木谷節子 2007年10月9日】
〔日本美術史上、最も爛熟した絵画の黄金期桃山時代に生を受け「時代を表現するために生まれ、時代は彼のために用意された」とまで評された絵師・狩野永徳(1543-1590)。その史上初の大回顧展が、10月16日(火)より京都国立博物館で開催される(会期は11月18日まで)。旧御物3件、国宝5件を含む国内外の永徳の名品を網羅し、彼と同時代の狩野派の全貌を紹介する京都限定の美術展は、今後の開催は不可能、と言われるほどの貴重な展覧会だ。この「京都限定。30日間の奇跡」を実現した、京都国立博物館の山本英男氏に、永徳とその時代、そして展覧会の意義を伺った。〕

▽できそうでできなかった、狩野永徳展

 織田信長や豊臣秀吉ほか、多くの戦国武将に重用された狩野永徳は、安土城や大坂城、聚楽第(じゅらくだい)など、数々の館や寺社仏閣を飾った、桃山時代を代表する絵師です。しかし、当時「天下一」と言われたにもかかわらず、永徳の作品はその多くが戦火で焼け、「これは永徳の作品に違いない」というものは、わずかに10点ばかりしかありません。

 この作品の少なさは、展覧会をするには大変致命的ですが、実は私は、平成8(1996)年に、狩野派の初代・正信と、その息子の元信を中心とした室町時代の狩野派を紹介する展覧会を行っていまして、その時に、これは永徳の初期の作品ではないか?とひっかかる作品がいくつかあったんですね。というのは、永徳は、お祖父さんの元信に絵を習ったんですが、決して上手ではないけれど、元信の影響が見える永徳的な作品があった。

 そうこうしているうちに、永徳が障壁画を描いている聚光院の建立時期が、それまでの定説であった永禄9(1566)年ではなく天正11(1583)年、つまり17年下る可能性が出てきたことから、ある研究者の方が、今まで永徳24歳の時の作とされていた聚光院の国宝《花鳥図襖》を、41歳まで下ろしてもいいのではないか? と唱えられたんです。

 この聚光院の《花鳥図襖》は、大画面に巨木がうねるようないわゆる「永徳スタイル」が、しっかりと確立されている作品です。これが従来通り永徳24歳の時の作となると、彼の画業は出発地点からすでに完成していたことになります。しかし、これを永徳の40歳頃、つまり彼の画業が一番充実していたピーク時の作と考えると、私が以前から気になっていた、元信と永徳の要素がミクスチャーされた作品が、永徳の初期の作品として、非常に重要な意味を持ってくるのです。

 作品が少ないために、狩野永徳の展覧会は、誰もが「できない」と思っていたわけですが、このような説のもとに、永徳の作品を集め、かつ永徳の気風やスタイルが表れた同時代の狩野派の作品で組み立てるなら、展覧会をできるのではないか、と思いまして、今回は「初の永徳展なので、よろしくお願いします!」と、関係各位にお願いして回ったところ、なんと永徳の代表作――《唐獅子図屏風》(宮内庁三の丸尚蔵館、旧御物)、国宝《洛中洛外図屏風》(米沢市上杉博物館)、国宝《檜図屏風》(東京国立博物館)、国宝《花鳥図襖》(聚光院)ほかの名品――を、すべてお借りすることができました。私にとっては、これこそまさに奇跡でした(笑)。

 展覧会は、正味30日、京都国立博物館限定です。これは、展覧会の会期を長くして、各地を巡回させると、作品保護の関係からどうしても展示替えをしなければならなくなってしまうからなんです。せっかく来ていただいても、唐獅子がない、檜図がない、ということでは、「永徳芸術の神髄に迫る」ことにはなりませんので、今回はあえて彼の国宝級の基準作を会期中フルタイムでご紹介できる条件の方を優先しました。このような機会は、今後、絶対にあり得ませんので、ぜひ京都まで足をお運びいただければと思います。

▽狩野永徳と、桃山時代の狩野派ブランド

 狩野永徳の凄(すご)いところは、彼以外の絵師がその時代にいない、ということだと思います。桃山時代の美術は、だいたい天正末年までを「桃山前期」、それ以降、慶長の終わりまでを「桃山後期」とするのが一般的なのですが、後期は長谷川等伯や海北友松(かいほう・ゆうしょう)など様々な絵師が出てくるものの、前期は、永徳1人で賄っている。もちろんほかにも絵師はいたのですが、彼らは永徳の活躍の前に完全に埋没してしまうんですね。桃山前期の美術の流れは、永徳が作り上げたと言っても過言ではないのです。

 永徳は、織田信長の安土城や、豊臣秀吉の大坂城など、天下人の城を豪華な金碧障壁画で飾りましたが、もちろん、城一つひとつとっても何百面とある襖絵を彼1人で描いたわけではありません。永徳は、いわば大工の棟梁のようなもので、彼が束ねていた「狩野派」というプロの絵師集団とともに、分業体制で仕事をしていました。

 永徳が幸せだったのは、このシステムを、彼のお祖父さんの元信(*1)が、しっかりと作っておいてくれた、ということなんです。例えば狩野派は、もともと「漢画」つまり水墨画の出だと言われているんですが、元信はこの漢画を、書道の「楷書、行書、草書」のように「真体、行体、草体」という3通りの画体パターンで狩野派独自のスタイルを作り上げ、共同制作をしやすくした。また元信は、金箔を使った風俗画のような大和絵の領域にまで進出し、大和絵を自分たちのレパートリーにしていました。そうすると、今まで大和絵を擁護していたパトロンや注文主が、一斉に狩野派に乗り換えるんですね。

 また、元信は、「扇座」という、扇制作協同組合のトップにいたことも資料で分かっています。扇といえば、当時は一番ポピュラーな贈答品。しかも狩野派が扱っていたのは高級扇でした。つまり、和漢両方のスタイルで何でも描ける襖絵から、贈答品の扇絵まで、「狩野に行けば何でも揃う」。もう、デパートみたいなものですよね。絵描きでありながら、元信がいかにビジネスの才に長(た)けていたかがよく分かります。

 そして永徳は、お祖父さんの元信が作ったこの「狩野派」のブランドとシステムをそっくり継いだんです。信長の時代には永徳も若かったので、「永徳ブランド」はまだ確立されていません。しかし、「狩野派ブランド」は十分にありましたし、弟子もたくさんいましたから、障壁画を描かせるなら狩野派へ、屏風を注文するなら狩野派へ、という流れは十分にあったと思われます。

▽あまり趣味の良くない秀吉と永徳

 永徳に関する資料は、ほとんど残っていないので、大坂城や聚楽第の画料がいくらだったのか、障壁画はどのぐらいの期間で仕上げられたのか、といった具体的なことは分かっていません。しかし、まず、これから城を造るから、と図面をもらってきて、この部屋にはこういう画題の絵を描こう、水墨画にしよう、濃彩画にしよう、といった基本構想は全部、永徳がやっているはずです。それらは、プレゼン用の「小下絵」や「大下絵」に仕上げられて、まず、施主にお伺いを立てるわけですが、特に、秀吉はやかましかっただろうと思います。

 秀吉って、はっきり言ったらアレですけれども、「黄金の茶室」に代表されるように、趣味のよろしくないところがありますね。例えば彼は、大坂城や聚楽第を建てた時、それまでの建物にはなかった、ものすごい大きな対面の間を作るんです。これは家来たちに主従関係を確認させるためなんですが、その一番奥に鎮座する自分を、神のごとく荘厳化するために、秀吉はとてつもなく大きな金碧障壁画を永徳に描かせる。永徳も、それ以前から大画の素養は見せていましたから、モチーフを近接拡大して、今まで以上に華やかな金碧画を制作していくことになります。

 この秀吉の趣味は、自らの城にとどまらず、禅寺にまで及んでいきました。例えば、彼の母親の大政所(おおまんどころ)が病気になったので、その病気が治るようにと大徳寺の中に天瑞寺(てんずいじ)というお寺を半年ぐらいで建ててしまう。すると、永徳に命じて、この禅寺の仏事を執り行う「室中(しっちゅう)」を、豪華絢爛な金碧大画で描かせるんです。これが禅宗寺院に金碧障壁画が描かれた、日本で最初の例となりました。永徳亡き後、秀吉は、今度は長谷川等伯(*2)に命じて、祥雲寺という禅寺に金碧大画を描かせています。その一部が、現在、智積院で見ることができる《楓図》ほかの障壁画です。

 実は、桃山時代の中でも、秀吉の時代の美術は突出してヘンなんです(笑)。それはやっぱり、秀吉の好みがものすごく反映されているからなんですね。思いついたら、すぐにバカデカイ建物を京都や大坂にバンバン建てて、絵師たちに「ワシの好みで描け」と半端じゃなく口を出す。秀吉の発想というのは、当時の考えからすると常識外れで、そのままヘンな方向に行っちゃってもおかしくないんですが、障壁画にしても、高台寺蒔絵にしても、それを手がける絵師や職人が、皆すごい達人なので、秀吉のとんでもない発想が、とてもハイレベルな芸術に昇華されてしまう。

 まあ「できません」と言ったら、首を刎(は)ねられますから(笑)、彼らもシンドかったと思うのですが、秀吉の期待にきっちりと応えて、とてつもなく大きな大迫力の金碧画を描いた永徳の筆力は大変なものでした。

 秀吉の時代になると、本格的な永徳ブームがやってきて、大名たちは、こぞって永徳一派に絵を注文するようになります。分業制といっても、永徳は最低でも1室分は描かなければなりませんから、時間のない彼は、若い時の《洛中洛外図屏風》のような細かい絵はとうてい制作することができず、モチーフが大きくて、一気呵成(いっきかせい)に制作できる大画を中心に描いていくことになる。しかし、これは天下人の秀吉が一番気に入っていた、まさに永徳のセールスポイントですから、大名たちも大喜びなわけです。

 永徳の絵は、年を取るに従って筆が粗くなる、とも言われますが、金碧画でスケール感や躍動感を出そうと思ったら、筆を速くしないとダメなんですね。キッチリ描くと、松でもなんでもピタっと止まっちゃって、ダイナミックな感じがなくなってしまう。永徳以後、いろんな画家が大画に挑戦していますけれども、金碧大画の中で永徳レベルのものを描けたのは、おそらく長谷川等伯だけだったと思います。

▽出品される作品、すべてが見どころです

 今回出品される作品は、すべてが見どころです(笑)。しかし、あえて作品を挙げるとすれば、まず永徳が23歳の頃に描いたとされる《洛中洛外図屏風》。ここには2500人近くもの人物が本当に生き生きと描かれていて、画中の人々の話し声まで聞こえてきそうな感じがする。永徳は、本当によく人物を観察していたと思います。また、この作品からは、ああ、永徳はやっぱり「動き」や「明るさ」、そして「華やかさ」なんだな、と、彼のその後の方向性も見えてくるんです。これが、永徳以外の狩野派の絵師が描いた風俗画との決定的な違いだと思います。

 また、《洛中洛外図屏風》は、もとは室町幕府13代将軍足利義輝が上杉謙信に贈るために永徳に描かせていたと言われる作品。結局、義輝が松永久秀に襲われ、自刃したために、この絵はその後、織田信長の手に渡って、改めて謙信に贈られたと考えられているんですが、義輝、謙信、信長と、これだけ歴史上のスターがかかわった美術作品というのは、とても珍しいと思います。

 それから、旧御物の《唐獅子図屏風》。こちらは、永徳の金碧画の代表作と言うよりも、桃山絵画の顔と言ってもいい作品です。縦224センチ、横453センチという、超弩級の大きさを誇るこの作品は、備中高松攻めの講和の証しとして、秀吉が毛利方に贈った「陣屋屏風」であると言われてきました。しかし、最近の研究で、もともとは大坂城の本丸御殿や聚楽第の大広間、ないしはそれに類する大きな建物を飾っていた障壁画だったのではないか、とも考えられています。

 どちらにしても、その肉厚な量塊感といい、躍動感といい、永徳の画風が一番溌剌(はつらつ)としていた、40代初期の作品ではないかと思われます。

 今回は、これら永徳の作品に加えて、彼と同時代の狩野派の作品、例えば、永徳の父の松栄や、弟・宗秀らの代表作も紹介します。彼らの作品を通して「桃山前期」という時代の空気を皆さんに感じていただければ、展覧会は成功したことになると思います。

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